六華 銀花 SAKURA舞う 3

旅行記、時々不思議なお話

モンテネグロのコトルでジジ探し

クロアチアボスニアヘルツェゴビナがくい込んでいる理由は 

ヴェネチアに再度支配されないようにボスニアを間に入れて

クッション代わりにしたそうな。

そんなわけでドゥブロヴニクに行くにはクロアチアの国境を出て

ボスニアヘルツェゴビナの国境を越え、再度クロアチアに入国しなければなりません

ここでも日本人のバスだと言うと素通りです

でも運転手はコンビニで緑の手帳を買っておかないと通れません

持っていないとコンビニに買いに戻らないといけないんだって 

ドゥブロヴニクの宿泊はグランドホテルパークでした

近くにスーパーがあります

このホテルは棟がそれぞれ独立していて部屋も綺麗でした
冷蔵庫はないです

ボスニアヘルツェゴビナの話に戻りますが、国境でお買い物タイムがあります

ボスニアの通貨はマルカ。  1マルカが80円です

でもユーロやクーナも使えるので換金はしなくて大丈夫です

ホテルから世界で一番美しいという夕陽をみましょう

お庭も素敵ですが、数分歩くと海辺に出るので朝のお散歩も勧められました

 

ホテルの玄関前あたりに地域ネコちゃんが数匹います

アメショーが野良ですからね

 ホテルのビュッフェはいろいろ種類があって、ハムやチーズやジュースも
いろいろ並べてありました
チョコクロワッサンが美味しかったです
洋ナシと季節物のプルーンをいただきました
どのホテルもフルーツは丸ごと置いてあって、自分で切ったり剥いたりしてます
外人は桃などは皮ごと食べるんだよね

夜はスーパーにお買い物に出かけました

翌日はモンテネグロのコトルに3時間半かけて向かいました

クロアチアの国境には6台のバスが並んでいて40分かかりました

パスポートをバスの中で集められてスキャンされ戻されます

モンテネグロへの入国は運転手がビールやジュースなどの賄賂を渡して

10分くらいで終わりました

立派なオリーヴの木ですね

この辺の国はイスラーム圏だったこともあって

ナツメヤシの種をくりぬいてクルミをつめたお菓子もあります

昔の商人はイスラムの教えで豚肉が食べられないので

旅の間ご飯を食べれない時もあって非常食に

ナツメヤシをいっぱい持っていったんだって

ラマダンの時も最初に口にするのはナツメヤシだもんね

しかしナツメヤシって干し柿の味と食感だよね~~

友達は美味しいと言ってお土産にしてたけれど、私にはいまいちでした

コトルは複雑な海岸線と険しい山に囲まれた堅固な要塞都市です
アドリア海の入り組んだ湾の一番奥にある港町

15~18世紀の380年間ヴェネツィア支配下にありました

聖トリフォン教会は塔以外は1160年に建てられました

カトリックの教会です

しかし城壁の向こうの切り立った山肌がすごいですね~~

ここでも動画を撮りまくってしまいました

 

 しかし、この小さな町にすごい人だったわ~~

 

聖ルカ教会です。

小さな町で見どころは教会がある広場しかないな・・・・・

可愛いにゃんこを発見!!!

セクシーガイド、ターニャさんの案内で街を巡ります

こんなかわいい猫の飾りが!!!

聖ニコラス教会

城壁はヴェネツィアが築きました

旧市街につながる海の門がある城壁にヴェネツィアの獅子が彫られています

この城壁に登ることもできます。8ユーロ位

頂上までは1300段以上あるらしい・・・・

かなりきついらしく、時間もないので私たちは行きませんでした

ちょこっとフリータイムがあって、路地の先に隠れ家的な広場を発見

暑いのでここで一休みしてました

ジジを発見!!!!!(魔女の宅急便だよ)

この野良ちゃんはちょっと元気がなかった・・・・・

憩いを求めて、人は路地に入り込むのね

ランチは鱈みたいな魚のフライ

ここでも付け合わせは野菜感覚の煮たお米

バスで30分走ったところにフェリー乗り場があります

バスごとフェリーに乗り込んで、世界で一番美しいコトルの湾を渡ります

10分くらいで対岸につき、40分バスで走るとドゥブロヴニクの旧市街に出ます

この間にまたモンテネグロクロアチアの国境を越えています

 

 

モンテネグロはパスポートリストを出してすぐに終わり
クロアチア入国はパスポートを集めて提出したとメモに書いてあった
50分てあるから国境超えるのにそれくらいかかったんだね(記憶になし)

地図で見るとコトルとドゥブロヴニクは隣町って感じですね
ヨーロッパは地続きなので、気軽に国境を越えて日帰り旅行したり
お買い物してきたりするらしい

フェリーは小さくて古いけど、海はとっても綺麗で風が気持ち良かったです

 スプリットからドゥブロヴニクまでの5時間は海岸線に沿って

海沿いすれっすれを走ってくれます

海沿いには砂浜はほとんどなくて、すぐ海って感じなんだけど

道路すれすれのちょっと横になれるスペースがあれば陣取って

おじさんが水着一丁で横たわっていたり、行水?みたいに海につかってたり

ほんとに狭いところを自分のプライベートビーチにしてました

海沿いの家々はそのまま好きにアドリア海に飛び込めるんだね~~

とっても素敵な生活ですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリオ君のスプリット案内

トロギールから30分でスプリットに着きました

イケメンガイド、ダリオ君の案内です・

1700年前にディオクレティアヌス皇帝が退位後、隠居したアドリア海の海辺の町です

ディオクレティアヌスは両親が元老院の奴隷で

解放後書記官になり、軍隊で活躍して皇帝となった人です

ローマ皇帝はほとんど暗殺されていますが、彼は60歳で引退宣言して

ここに隠居したんだって

アドリア海周辺で最大のローマ遺跡と現代の生活がコラボしてます

古代ローマが衰退すると忘れ去られ廃墟となっていましたが

7世紀にスラヴ民族の襲撃を恐れたサロナの町人らが移り住んできました

ダリオ君はチャンスの神様の話をしてましたね~~

チャンスの神様のカイロス???は後ろがつるっぱげなので

通り過ぎた後に掴もうとしても無駄なんだって

チャンスは待ち構えないとね

ここにも男性アカペラグループグラッパがいました

クロアチアではエジソンよりニコラ・ステラの方が偉大な発明家と言われています

若いころはアメリカでエジソンの下で働いていたそうです

合流発電機を発明した他に300件の特許を持っていたそう

エジソンはマスコミの扱いが上手だったため発明家というよりも実業家だそう

スプリット含むダルマチア地方はダルメシアンの故郷です

この辺は南国ムードなプロムナードあたり

門をくぐって旧市街に向かいます

可愛い洋服屋さんや雑貨屋さんがありますが、ツアーでは寄る暇なし・・・・・

世界遺産ディオクレティアヌス宮殿に入ります

200m四方の城壁で囲み、ローマの要塞のような造りになっています

4分割してそれぞれに門を置きました

北側の金の門はサロナの町に続く表玄関になります

南の青銅の門は船着き場

西の鉄の門、東の銀の門があります

古代では青銅の門前まで海であり、船で上陸してました

皇帝の邸宅の地下層は博物館になっているのでここを見学をします

地上の邸宅は残っていないですね~~

浸食されて、いまにも崩れそうですね~~

厨房や食糧倉庫、ワイン作ったりオリーヴ搾ったりしてました

 この間テレビで、ガラスが出来る前は水晶を削って窓にはめ採光してたって言ってた

ディオクレティアヌス像を説明するダリオ君

ほとんどはみつばちさんが説明するけどね

こんな部屋の地図があって青色はまだ埋まっているところだったかな?

戦争での爆撃跡だったか???

エジプトとかどっかからの戦利品みたいなのが置いてありました

ここはオリーヴを搾るところ

オリーヴは食料の他に肌に塗ったり、ランプの燃料に利用されていました

9キロのオリーヴから1キロのオイルしかとれないんだって

 地下なので発掘される現代まで地上に住んでいた人たちが

ゴミを隙間から地下に落としてたんだって

だからゴミに埋もれた部屋がそのまま残されていたりします

プラスチックや金属がなかったから、ほとんど土になっちゃってるけれど。

その上に町が造られたので、ゴミを撤去すると地盤が崩れる恐れがあるそう

ペリスティル広場に出てきました

 

ローマ兵と有料で写真が撮れますよ

望遠で隠し撮りをしまーす

しかし観光客がすごいですね~~

クロアチアはネクタイ発祥の地で、フリータイムの集合場所はクロアタです

指紋柄で有名なネクタイの店

夫婦は奥様にスカーフを買わせられていた

お店の床の一部から遺跡が覗けます

ここからフリータイムです

お目当ての靴屋を探しに出かけます

昔、偉い人が住んでいた家の窓もそのまま残っています

金の門から市街地にでます

左手に聖書、右手を挙げたグルグール司教の像があります

左足の親指を触ると幸せになるそうですが雑誌に載っていたセンソという靴屋

向かいますが・・・・・

この城壁伝いに進んでもなくて・・・・マルノントヴァ通りにすぐ出てしまいました

城壁のすぐ脇は入り組んだ迷路みたいな路地になっていて

マルモントヴァ通りまでの間は小さな店がひしめきあっているのです

センソをやっと見つけたけれど、小さなお店で

お目当てのカラフルなスニーカーはなくて落ち着いた靴ばかりでした

今度は銀の門から出た青空市場を散策します

ドライフルーツとか、みつばちさんご推薦のプロポリス製品とか・・・・・

みつばちさんはプロポリスさんに改名しようかと思うほど

プロポリスの凄さをバスの中で力説してました

こちらのお店でみつばちさんにお手伝いしてもらいながら

蜂蜜を試食してアカシア蜂蜜1キロと桜のはちみつを購入しました

アカシア蜂蜜は1080円位ですよ~~ 安いっ!!!

ランチはイカのグリルです

このスープは美味しかったけれど

イカは小さくてびっくりしたわ~~~

デザートはアイス

約5時間バスに乗ってボスニアヘルツェゴビナの国境を越え

ドゥブロヴニクに向かいます

シベニクからトロギールへ

シベニクの町を歩きます

古いアドリア海の町で、昔は1階でロバを飼って 2階が住居だったそう

階段の路地に素敵なテーブルと椅子を置くレストラン

カラフルな街並みは隣が黄色にしたから、うちはオレンジに

その隣はじゃあ赤でとグラデーション重視かな?

 第1次世界大戦後のクロアチアについて

クロアチア人はセルビア人やスロベニア人と共にユーゴスラビア王国として独立します

しかし今までいろいろな国に支配されてスラブ主義だったり反スラブだったりして

王国は常にまとまらない状況でした

クロアチア人は独立意識が高まりボスニアヘルツェゴビナの一部を含む

クロアチア自州国となります

そのうちナチスドイツが台頭してきますが、ユーゴスラビアは貿易相手として

ドイツ寄りのため第2次世界大戦が勃発すると脅しもあり中立を保ちます

しかしドイツとの同盟離脱に向かったため

ドイツ、イタリア、ハンガリールーマニアブルガリアの侵攻を受け

ユーゴスラビアは分割占領されてしまいます

 だけどクロアチアは前から民族意識が高いためクロアチア独立国として承認され

ナチスと同じくユダヤ人やロマ人、そしてセルビア人を迫害します

チトーは錠前師でしたが学生運動や戦争に参加し

セルビア系抵抗組織パルチザンを率いてクロアチアと戦い

戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となってしまいました

 

この方、現地ガイドのマリーナさん

足の長いこと、細いしとってもおしゃれ

現地ガイドはみんなこんな感じだったよ。30代かな~~

話は戻りますが、チトー大統領が亡くなるとクロアチアはまた独立を目指します

阻止しようとするセルビア人を国から追い出して

現代に続くセルビア人難民問題となっています

1991年マケドニアが独立宣言します

ボスニアヘルツェゴビナも触発されて独立を目指し

クリアチア人とムスリム人がこれを支持したためセルビアと衝突し

ボスニアヘルツェゴビナ紛争が勃発します

相次ぐ紛争に1994年国連が介入し、クロアチアが独立を果たします

そして周囲の国も次々と独立し、ユーゴスラビア連邦は消滅しました

フリータイムでは暑いので、アイスやジュース屋さんに向かう方が多かったです

9クーナのヘーゼルナッツアイスをみつばちさんに注文してもらいました

こんなカラフルなグミやキャンディのお菓子屋さんをよくみかけましたよ

しかし原色で、一粒が大きいし、いつ作ったのかわからないから見るだけ~~

このあと1時間半でトロギールのホテルメデナに到着し

ホテルで夕食をいただきました

このホテルは古くてソファーがほこりでザラザラしてました

朝ごはんのメニューも少なくて、ドレッシングもないです

 トロギールは城壁に囲まれた要塞島です

モンゴルやオスマントルコ侵攻を免れています

紀元前にギリシャの植民都市として発展し

中世で建設された旧市街は世界遺産になっています

 聖ロブロ大聖堂では30分のフリータイムです

 トロギールはあんまり印象に残ってないので

海外旅行での注意喚起を書いときましょう

 パスポートの盗難は旅行社だけで年48冊もあったそうです

ツアー中に盗難事件があると添乗員は店長の面接を受けることになるんだって

大変ですね・・・・・ 

置き引きやひったくり、観光客を装って数人で仕掛けるスリや若い子グループのスリ

パスポートを首から下げるホルダーに入れておくと

服の隙間から紐を切られてひったくられることもあるので腹巻タイプを推奨してました

でも夏だと暑いし、薄着だと透けちゃうよね・・・・ 

それからカバンではリュックが一番危ないですね

特に地下鉄では注意してください

 ロストパッケージは、ドイツやイギリスではすぐ届きますが

ヨーロッパの南側は帰るころにつくことが多いそうですよ

クロアチア   シベニクだよ

プリトヴィツェ最後にビール飲みながらマス料理をいただきました

美味しかった~~~

可愛い猫ちゃんズもいたし

3時間半バスに乗ってシベニクにやってきました

海辺の町で砦に守られています

グルカ川に沿って発展した港町です

クロアチア伝統のグラッパという男性アカペラ合唱を聞く機会がありました

この衣装やボタン、帽子が特徴でアクセサリーに模されたりお土産も売ってます

こういうグループはいろいろあって自分たちのCDを売ってます

 

 

3時間半のバスの中でみつばちさんが、アレクサンダー大王が率いたフン族

ローマ人と話が通じなくてヴェネチアで生活するようになったとか話してたっけ

そして地中海、黒海とか商売して

木材や石鹸や羽織ものなどをエジプトやシリアまで運んだそうだ

そうやってアレクサンドリアまでやってきた2人の商人が

聖マルコの遺体を豚をいっぱい乗せた馬車で偽装して盗み出し

ヴェネチアに持ち帰ったんだって

マルコは翼のあるライオンで現され、それがヴェネチアの国旗になったそうな

キリストさんや古代の聖人は中東の人たちでしょ?

なんでヴェネチアの話をしていたんだろう?

とにかく中国やロシアや中東やヨーロッパは地続きだから大変なんだよね

なんでも奪い合いで・・・・

あとミッシェルっていうのは大天使ミカエルのことで

モンサンミッシェルとかミッシェルがつく教会はミカエルを祀っているそう

レコンキスタポルトガルとかスペインの巡礼の話もしてたわ

旅行に行った先がみんなつながっているのよ

 みつばちさんはほんとによく勉強している

いいかげんな添乗員はその場で携帯とかネットで調べて読み上げてるからね

カトリックの大聖堂で司教がいる聖ヤコブ大聖堂は

地元の建築家が木材やレンガの補助をまったく使わないで建てました

世界で最も大きな石造り建築の教会として

ユネスコ文化遺産になっています

内戦で破壊されたりもしました

クロアチアは旧ユーゴスラビアです

1991年から1995年にかけて独立戦争がありました

 それで確かプリトヴィツェにも地雷が95個とか埋められていたらしい

それを国連やユネスコが整備しました

 火薬を地面に埋めて、その上に大量の砂糖水や蜂蜜をまいて

みつばちに火薬の匂いを覚えさせる訓練を施して

地雷発見に貢献させたんだって

添乗員みつばちさん同様えらいね~~

そういえばプリトヴィツェではビデオ撮影するあまり、写真が少なすぎたわ

また行けたらいいなぁ~~~

ここいらへんでクロアチアの歴史を入れてみたい

まず地図をみるとわかりますが、イタリアの踵側のアドリア海をはさんで

上からオーストリアスロベニアクロアチアボスニアヘルツェゴビナ

モンテネグロアルバニアギリシャがあります

オーストリアの隣がスロバキアハンガリーセルビアコソボマケドニア

それぞれ上記の国の隣に位置しています

ギリシャエーゲ海をはさんだ向こう側がトルコ

6世紀あたりにヨーロッパ東南であるバルカン半島に南スラヴ民族がやってきます

 そして11世紀にクロアチアアドリア海沿岸地域のダルマチア

ヴェネチアに占領されました

セルビア正教会が東ローマ帝国だったトルコから独立して

14世紀にセルビア王国が誕生します

しかしオスマン帝国が勢力を増しまして、バルカン諸侯連合は敗れ支配下に・・。

1456年にはセルビア首都のベオグラードオスマンに陥落します

ヨーロッパはハプスブルク家が盛り上がってきますから

オスマンと戦ってスロベニアクロアチアの一部とかハンガリーを奪い

その代わりボスニアオスマントルコに渡します

そのうちオスマン帝国の力が衰えてきたのでセルビアが蜂起

1877年にはセルビアモンテネグロ王国が誕生しました

しかし1912年にオスマン帝国ギリシャセルビアモンテネグロブルガリア

第1次バルカン戦争が勃発し、オスマン帝国は西バルカン半島クレタ島を放棄し

翌年にはその領土をめぐって、ブルガリアセルビアギリシャ

第2次バルカン戦争がありブルガリアは孤立しました

そして1914年にサラエボ事件が起きます

サラエボ事件オーストリア皇帝でハンガリー王でもあるフランツ・ヨーゼフの

世継ぎが心中しちゃって(ほんとは心中を装った暗殺みたいな感じ)

フェルデナンドに世継ぎ使命がいっちゃったんだよね

だけどフェルデナンドは身分違いのゾフィーとの結婚を譲らなくて

ハプスブルク家から子供が生まれても財産や王位継承はないのを条件に結婚

パレード途中で爆弾騒ぎがあってルート変更したけど運転手に伝わっていなくて

道を間違えユータンしたためスピードが落ちたところを狙撃されたそう

 スラブ主義による民族統一を夢見たセルビア人の25人の学生が企てました

これによりオーストリアハンガリーセルビアに宣戦布告し

第1次世界大戦が始まりました

アドリア海沿岸の国々は古代から中東とヨーロッパのせめぎあいで

時代によってイスラムだったりキリスト圏だったりしてたわけね

レコンキスタではすっかりヨーロッパ側からみて中東が悪者侵略者だけど

イスラムの教えでキリスト教よりも支配が寛大だったりして

スラヴ主義に憧れる国も多いのよね

大昔なのにクロアチアヴェネチアに支配されたことを根に持ってたりして・・・

台湾が親日だったり、香港が中国支配を嫌がったりしてるのも根が深いわ

ところで聖ヤコブ教会では、このように地元の名士とかが

自分の顔を競って壁に取り付けています

中には犬の顔まで・・・・・

大体さ、宇宙はひとつの神なんだよね

それがおりてきて体感し、説明しようとしたときに

その人の力量で伝え方が違ってくるから

キリストが説明したのがキリスト教で、ムハンマドが説明したのがイスラム

仏陀が説明したのが仏教・・・・かな?

 キリスト教プロテスタントカトリックで殺しあったり、大虐殺したり

大航海の波に乗って、布教を盾に他民族を大量虐殺したり奴隷にしたり・・・

結局支配者が変わるたびに、その支配者の宗教感で一般市民や他民族は

かなりやばく翻弄されてきました

神は人間たちの罪を裁きにかけたり、罪の重さで差別したりしません

大体絶対愛なんだから、すべてに平等に愛は降り注いでいる・・・

それって凄く凄く恐ろしいことなの

自由になんでもしていいってことは、その責任は全て自分で持ちなさいってことだから

因果応報ってのは全て自分で作り出しているんだよ

今自分が置かれている状況も。こんなはずじゃなかった不運な自分も。

キリストが全ての罪を背負ってくれるなんてアホだから!!

なんでも自分の欲望のままにやりたい放題して、逃げ切れるなんて思わない方がいい

自己憐憫病やら自己価値観低下病やらで他人の荷物をほいほい背負っちゃう病の人も、

幾ら他人の荷物を背負ってあげたってね、なんにもならないのよ

背負い損だからね

そーいうのはやさしさとか、愛にはカウントされない

そして悪いことを沢山して、負債を他人になすりつけている魂は

自己責任を先延ばしにしているだけだよ

他人に持たせた荷物にちゃんとあなたの認識番号が書いてあるから

幾ら逃げたって魂の時間は無限・・・・・

巡り巡っていつかは支払いをしなければならない

一番いい方法は、負債を大量に返す方法だけど

新たな罪を犯せない人生を繰り返すこと

生まれた時から重い障害や病気の人生なんだけどね

天使クラスの高い魂さんが汚染しないためにこの方法で来ることもある・・・

五体満足で転生して、魂の負債を分割払いしていても

この世で新たに負債を背負うリスクも高い

誰が自分を裁いているのかって?

それは自分自身にほかならない

自己責任てほんとに怖いわ!

生きている時は何とも思わなくても、魂になると永遠だから

停滞ってのはないのよ。

宇宙はすべからく凝縮と拡張を繰り返す膨大なエネルギーの渦だもんね

水のワンダーランド、プリトヴィツェ

滝のところでお写真タイム

元気な人は大岩に上がって撮ってます

必ず現地ガイドが同行して、監視カメラでチケットどおりの散策か監視されてます

小さい湖とそこから溢れて下へ流れる川の繰り返しを見ながら

コジャック湖へ向かいます

道はこんな感じで狭い中を大勢の人とすれ違います

ほんとにほんとに綺麗なところ・・・・

石灰水は澄み渡りいろいろな色の水の中をお魚さんたちが優雅に通り過ぎていきます

このようにブナの倒木に石灰がどんどん付着して水をせきとめ

90以上の湖を形成していきました

散策路は整備されているので軽装備で大丈夫

水源は2つあり、ブラックリバーとホワイトリバーの石灰水です

 この小さな滝がある湖が、よく宣伝写真で使われています

有名な話ですがミルカ・トルニナというオペラ歌手が

ここを保護するために寄付したり活動を行ったので讃えられています

滝にもミルカさんの名前がつけられています

 ボート乗り場しか売店がないので飲み物は持参したほうがいいです

 植物は日本と同じ、見たことがある木や草や花・・・・・・

 これはまゆみかな???

きっと虫もなじみがある種類かもしれない

一番大きな湖のコジャック湖につきました

上湖群へはボート遊覧で向かいます

このとおり、魚が飛んでるみたい

向こうからボートが段々近づいて来ます

なんか鍵を忘れちゃったのですれちがいに頂戴!!のためでした

小さな島はステファニア島と呼ばれています

岸に近づいてきました

小さなお土産屋さんやカフェがあるので一休みしましょう

 

私達のツアーはここで終わりなので現地ガイドさんとお別れします
しかし時間が余っているということで、ほんとはだめなんだけど
みつばちさん日本人添乗員が道に迷っちゃった~~という設定で
上湖群をちょこっと散策できました

監視カメラは外人はしょうがないなーっと見逃してくれたりしますが

現地ガイドが一緒でコース違反すると罰則があって大変なことになるそう

またボート乗り場に戻ってきました

人懐こい鴨さんたちがいます

ここから歩いてレストランに向かいます

ランチしたら今度はシベニクに向かう予定です

 

クロアチア旅行記のあと、京都旅行記も書きたいし・・・・・

なんか毎日YouTube見てて全然すすまないわね・・・・

プリトヴィツェ

 この日は6時モーニングコールで8時出発です

テルマコラに可愛いはく製がありました

なんの会議中????

日本もこんなふうに飾るといいかも・・・・・

世界遺産プリトヴィツェ国立公園は狩ることがないので

クマがうようよいるそうです

生態をカメラで監視してます。もちろん人間も?

食べ物が豊富なので街には下りてこないと言ってました

他の動物もうようよいるらしいが、人間の姿を見ても逃げないそう

以前縄文杉を見に行った時も、気が付いたら鹿が傍にいて逃げなかったな~~~

朝食はこんな感じ。

キュウリどーーーん!  トマトどどーーん!!

あとどのホテルもフルーツは丸のままごろごろしてました

カルスト台地の湖群地帯はすごく綺麗でした

さすがユネスコ世界自然遺産ですね~~

ガイドさんの話によると、子供の頃はここにピクニックに来てバーベキューして

滝でシャンプーする人もいて、泳いだり魚をとったりしていたそう

でも今では世界遺産なので、そんなことを一切できなくなっちゃったからね

トルコのパムッカレや中国の九寨溝と同じ

石灰岩台地を削って出来ていく段々畑状態の湖で、階段状に大小の湖が連なり

一番大きなコジャック湖へ流れ込んでいきます

水のワンダーランドと呼ばれていて

コジャック湖から下の湖はエメラルド色が濃いと言ってました

石灰水の水がきれいで魚が沢山泳いでいました

この湖群には5種類のマスがいるけど、大きなマスはなかなか見れないと

言ってましたよ

トルコのパムッカレは温泉だから魚はいなかったけど

パムッカレも遺跡とのコラボでとても美しいところでした

9月なのに、もう秋の雰囲気でした

私達のハイキングコースは下湖群の入り口から入り

ノヴァコヴィツァ・ブロッド湖、カルジェロヴァツ湖、ガヴァノヴァツ湖、

ミラノヴァツ湖を巡りコジャック湖を遊覧船で渡る4時間位のコースでした

ここのホテルに泊まって2日間かけないと全部は回れないそうです

そして雨が降ると屋久島のように水が大地にしみ込みにくいため

道が川となり危ないので入れなくなるそうです

私達が行く前も雨の日があり、立ち入り禁止になって

クロアチア旅行の一番の目的で楽しみにしてたのに

果たされない日本人ツアー一行がいたそう

このように上の湖からあふれた水が川や滝となって

下へ下へと様々な湖を形成していきます

ここでは動画ばっかり撮っていました

静止画だと迫力や水音、風の流れや行きかう人々の躍動感とか

伝わりにくいから・・・・・・

とにかくどこもかしこも水が澄んでて、とっても綺麗

アドリア海も綺麗だったし、汚染された生活水とかどうしてるのか???

そして観光客や地元の家族連れがどこにでも溢れている

アウトドアが盛んなんだよね~~

少し前までボスニア紛争とか戦争があって危険地帯というイメージが

今でもあるけれど、全然平和で金髪碧眼の人々はすごくおしゃれ

(何故かイケメンはいないが、美女ばかり・・・・)

現地ガイドの美女達は年齢がいっててもスレンダーで足がほっそい!

顎ピアスとかしてたり、全員おしゃれでモデルみたいだった

アイスやコーヒー持って登場したり・・・

その後ろを歩く日焼け対策ばっちりの厚着の日本人たち。

でもやっぱり置き引きやひったくりには気を付けたほうがいいよ

真夏でも透けて見える腹巻きや首から下げてね!!!

ポストイナ鍾乳洞

 

ブレッドからポストイナまでは1時間半の道のりですが事故渋滞で

14時予約の鍾乳洞入場に間に合わないということで

ランチのチキン料理は急遽お弁当に詰めてもらうことになりました

それで途中レストランに寄ったら、最初に応対したおねーさんが知らないって・・・

一瞬、みつばち添乗員さんが青くなりましたが

店長がちゃんと段ボール箱につめておいてくれてました

しかし出来る添乗員みつばちさんは確認を怠らず

ナプキンやナイフ、フォークが入ってないことを指摘してました(さすが!)

 向こうはライスが野菜感覚だけど、やわらかめのライスに

チキンソースがしみ込んで結構美味しかったです

チキンの下には付け合わせの野菜もありました

 

ポストイナ鍾乳洞ではピンクのワニさんがお出迎え!!

 素敵な花壇もありました

受付やカフェ、お土産屋さんがあります

 鍾乳洞で1時間半の観光なので、一番寒いところだから

みんなユニクロのダウンとかちゃんと着込んでました

とにかく鍾乳洞はすごく広いです

ネズミの国のアトラクション、ビッグサンダーマウンテン酷似の

ロッコ電車に乗り込んで地底に降りていきます

このトロッコがスリル満点でとっても楽しかったです

とにかくすれっすれっなんだよ~~~

ビデオやデジカメ、携帯を少しでも突き出したら岩にぶつかって終わりだぜい!

天井もおじさんの頭すれっすれっだったし・・・・

この巨大さ、人の小ささ・・・・

そして観光客がわんさかいて、暗いので撮影に夢中になっていたら

周りに友達も同じツアーの人もいなくなってて置いてかれた!!と焦りました

それで追いつこうとドンドコドンドコ進んでいったら

14時入場の一番先まで来てしまい、案内人に自分を追い越して進むなと注意されたよ

そしたら友達が後から追いかけてきていて、どんどん前に行ってしまって

追いつけなかった、みんなまだ後ろの方にいるよと息切れしてました

だって~~~ 中国人と韓国人ツアーに囲まれてわからなかったんだもん

とにかく1時間以上さまよったね

でも写真と動画は撮りまくりました

道は暗いが、鍾乳石はライトアップされてて綺麗でした

最終地点はまたトロッコ乗り場で、迷子になってもここで必ず合流になるから

私のように慌てなくても大丈夫・・・・・

ロッコ乗り場にはお土産屋さんがあります

そしてまた、すれっすれっのトロッコに乗って地上に戻ります

途中でスロベニア出国とクロアチア入国で16時半に国境を越え海沿いを走り

5時間かけてプリトヴィツェのホテル MACOⅬAに到着です

このホテルも部屋が狭かった・・・

夕食はホテルで、パスタのスープとサラダ

ドレッシングは卓上の塩と酢とオリーヴオイルを自分でかけるスタイル

メインは豚肉ステーキだったかな

野菜感覚のライスが日本人の主食だから、毎回誰もパンに手をつけないのであった

デザートは素朴なドーナツ

ホテルMACOLAの地下にスーパーがあるのでお買い物をすることができました

チョコレートが36~38クーナ、ナッツが15~20クーナ

VEGITAのコンソメ顆粒が12.97クーナです