六華 銀花 SAKURA舞う 3

旅行記、時々不思議なお話

宵闇の日光

 夜の町中を歩くのとは違って雰囲気がありますよね

ライトアップがなければ真っ暗闇の森の中よ

群青色の空と月がすごく綺麗でした

月明りで明るくても、誰もいなければ自分の息しか聞こえないでしょう

周りに知らんふりした赤の他人がいる距離感がいいです

話しかけてこられたほうが怖いかも・・・・・・

 徳川家光の霊廟である大猷院の見どころは2019年に半世紀ぶりのお目見え

風神、雷神です。  複製ですが綺麗な出来栄えですね

 鹿沼の仏像修理工房「三乗堂」の女性職人3人で作成されました

風神は指4本で東西南北を現しています

元々は東照宮の陽明門におったけど神仏分離でここに移されたんだって

ぴっかぴかですね~~~

 雷神は3本の指で過去・現在・未来を現しているそう

2体とも足の指は2本で天と地を現しています

仏教四天王の東を守る持国天と、南を守る増長天

門を守る龍のような獅子もなんとなくかわいいですね

きっと丑三つ時には生き帰ってどんちゃん騒ぎしていそう・・・・

 夜はだんだんと深まるばかり・・・・・・・・

昼間はこんな感じだったけどね

 竹に穴をあけて作成したランプで飾られていました

妖しい夜が透けて見えます

ロマンチックですね~~~

 門番はこのぉふたりです

勇ましいですな~~~

コロナも逃げていきそう

 

しかしコロナで大騒ぎですねえ

恐れは具現化しやすいから気をつけないと・・・・・

コロナはウイルスで細菌じゃあないから除菌してもね

風邪に特効薬がないように対処療法と隔離しかない

それに健康な方がマスクしていても、目の前で咳をされれば全身に浴びるし

あちこち触るところにウイルスはついてるからなあ

病気側の方が正しくマスクをしていないとなんにもならない

ちなみにインフルエンザ  Áの方が危険

子供はインフルエンザ脳炎で重症になっている(助かってもベジ・・・・)

コロナはアルコールよりハイターが効く

日光に行ってきました

紅葉が過ぎたころに電車で日光駅まで行き、歩いて神橋まで来ました

湯葉料理とか、鬼平の水ようかんとか誘惑が沢山!!

ご朱印をいただいたけど神橋は渡らない・・・・・

外人さんが座り込んで、素敵な絵をかいていました

日光東照宮は以前に拝観したので二荒山神社に行ってみました

狛犬ではなくて狛ライオンさんがいました

どこもかしこも萌えキャラがいますな~~~

基本、ただなところを見学中

 友達がカメラが趣味で賞をもらったりしているので、そのおつきあい

私は携帯だけど・・・・・

日光山輪王寺めぐりします

輪王寺は日光山にある寺院らの総称なんだって

だからいろは坂の上の方にもあるのよ

766年、勝道上人と弟子が行脚中に川を渡れないで困っていると

首から髑髏の首飾りを下げた異様なインドの神、深沙大王が現れて

大蛇2匹で橋を作って助けてくれました。これが神橋のところ

勝道上人は千手観音を祀るお寺をたてました

平安時代になると空海や円仁も訪れ、円仁が日光に天台宗の堂を建設します

江戸時代には天台宗の高僧だったから天海が復興に励み

徳川家康や家光のお墓の場所になりました

段々と日が暮れてきましたよ~~~

実はライトアップを見に来たんですゥ~~

豪華絢爛でございますな~~

内部は写真撮影禁止で、法話をきいて~~必ず次に~~ジャパネット坊さんが・・・

毎年破魔矢を買い替えるなんて! 一生モノの破魔矢がさあ、ここに!!!

 ・・・・・・・で、金属製の破魔矢をお買い上げしてきましたの

お寺にも物欲増強させる魔物がひそんでいたのね

漫画チックな神様の家来がたくさんいたよ

おれっち、どらえもん

やだ~~~~  青いだけじゃん

じゃあ・・・私、はんぺんよ~~~~!!!

ぶほっ!!   おまっ・・・それ、白いだけじゃん!

じゃあ俺、きめつのあかざ

 

「みんな、笑わせるな~~~!!!!わははははっ!」

じゃあ俺、ピカチュー!!!!

 

黄色くないじゃ~~~~ん!!!!!!!!!!!!!

京都裏探訪

大阪人は地元でも京都でも観光客の行くところにはいかん~

京都はアジアとかアメリカとかヨーロッパとか外人がわんさかいよるわ~~

そんなとこいったらあかんねん  ようあるけまへんわ~~

って、ひろみちゃんがいいよるのでマニアな京都巡りになってもうた

それも楽しかったけれど。

晴明神社さんやで

安倍晴明の御霊をお祀りするために1007年、一条天皇によって建てられました

安倍晴明の屋敷跡だったそう

晴明井は安倍晴明が念力で湧かせた井戸だよ

病気が治るんだって

応仁の乱後、ここは衰退しますが近年映画の効果か盛り上がりまして

このような五芒星の井戸になりました

五芒星御守りグッズやご朱印などございますねん

樹齢300年のくすのきさんもおります

陰陽道では桃は厄除けや魔除けなので

この桃に自分の厄をなすりつけるそうや~~

なんか他人のなすりつけた厄をもらいそうやわ・・・・・

桔梗がとっても綺麗ですねん

次はぁ~~!! 御金神社やでぃ!!!!!

たっからくじ!! たっからくじっ!!!

お参りしたら、銭を洗いますねん~~~

一攫千金狙う人がたっくさんいますねん

次に連れていかれたのは、法華宗大本山本能寺ですねん

隆聖人は伯父らと共に妙本寺を出て本応寺を建てたけど妙本寺教徒に壊され

西陣に本能寺を再建したそう。その後も引っ越し・・・・

6代目の頃に比叡山といざこざがおきて襲撃で燃やされ境に逃げましたが

6年後に京都に戻ってこの地に再建します

しかしまた、織田信長本能寺の変で焼け落ちましたねん

信長は秀吉の中国出陣要請に応じて本能寺に滞在します

本能寺の変の前日、公家やお抱え商人と町衆60名位を招いて茶会をします

自慢の茶器を披露したり、出陣のための物資補給などを話し合い

晩さん会後は碁の試合を見物したそうです

基盤上に劫っていうのが三度も出る不思議なことが起きて勝負はつかず

香炉の3足の蛙が鳴きだすこともおきたと伝えられています

そして明け方・・・・本能寺は焼け落ち信長がどうなったのか

誰の陰謀なのかは蛙も口をつぐんで語ろうとしまへんな~~~

本能寺は5度も焼け落ちたので、のうをヒが去ると書くのが本当なんやで~~

 

そして電車もバスも乗らず徒歩でてくてく・・・・・

ひたすらひろみちゃんのあとをついていくのでした

なんか観光客である私が京都らしいとおもうとこや~~~

外人も観光客もいっぱいおるがな・・・・

建仁寺っていうとこだけどぉ~~ ひろみちゃんなんか探しておるな~~

「ここいらへんはなぁ、あの世とこの世の境やねん

昔は死体を捨てるとこだったねん。夜は誰も近寄らんよってなぁ・・・」

はうっ!!!! 岡野玲子せんせの陰陽師っていう漫画に出てきてたわ!!!!

「ここや!!!ここにきたかったねん・・・・昔は風葬やったんやで」

日本の風葬ってカラスが食べに来てたんかいな? 野辺送りの語源や・・・

ひろみちゃんが来たかった六道珍皇寺。 六道さんて呼ばれてるで

漫画鬼灯の冷徹に出てくる小野篁さんは閻魔大王の補佐をしているという伝説があり

黄泉がえりの井戸で冥界と行き来していたそうな

小野篁さんは遣唐使に関係していたり、書に卓越してて、島流しになったり

都を追放されたり呼び戻されたり激動な人生を送った方ですねん

六道ってのは、地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人道・天道の冥界があるという

仏教の教え・・・・

人を呪わば穴ふたつ

ってことで安井金毘羅宮・・・・・

縁切りだけど、中には呪いの絵馬もあったり人間の業を感じますな~~

恨みや呪いや嫉妬や怒りや悲しみなどのエネルギーを身に着けて

魂を重くしないと地球に留まることができないんだって

だから前世でできた業が現世でも重くのしかかってくるねん

甘いもん食べて自分をいたわりや~~~

ひろみちゃんと京都御所

ネットで調べたら京都御所に指定時間に集合すると無料案内してくれるのよ~

(一般公開、特別公開日があるので調べてから行ってくださいね)

案内してくれる市職員は若いおにーちゃんだった

京都御所は794年に都が京都に平安京として移されてから

1331年~明治2年の500年間天皇が住んでいた場所です

幾度か火災にあっても、その時の権力者らの手によって再建されてきました

豊臣秀吉徳川幕府とかね)

 

ここは公家や将軍家の使者の控えの間です

身分によって部屋がきまっています

右にいくほど身分が高い人の部屋になり、虎の間、鶴の間、桜の間があります

身分によって畳の縁の色や部屋の入り方も違ってきます

ここは大正天皇即位の礼で馬車がとめられるように新設された車寄せです

しっかし広すぎで、何もなさすぎじゃないの?

ひろみちゃんといろいろ話したかったけれど、なんも話さなかったな~~

 

ひろみちゃんはいろいろ視える人らしい

月命日など、いろいろな知り合いの方を呼び出して供養してるんだって

そういえば今年っていってもまだ1月だけど、一番びっくりしたこと。

ヒーラー養成学校で一緒だった陶芸家さんが3年前に亡くなっていたことを

同じく同期の年賀状で知ったこと・・・・・

3年間年賀状を出してて、返事が来ないからおかしいなとは思ってたけど

今年も出しちゃったじゃない

なんで旦那さん、教えてくれないんだろう・・・・・・・

他の同期に聞いたらやはり知らなかった

そんでひろみちゃん、陶芸家さんを呼び出して供養しといたって

ええ~~~!? あの頃ひろみちゃん20代、陶芸家さん50代で

卒業後も陶芸家さんあんまりひろみっちのことちんぷんかんぷんで好いてなかった

呼び出して怒ってなかったのかな?

ここは約500年間天皇が日常生活をされていた清涼殿です

建物は外から眺めるだけで内部の見学はできません

明治天皇から東京の皇居にうつられて、内部はからっぽの部屋ばかりか・・・

右近の橘、左近の桜は植え替えられたばかりか、まだ小さいですね

 最初は今の規模の半分しかなかったけれど、豊臣秀吉徳川家康が拡張して

今の広さになったんだって。

しかし・・・広すぎるわ

行った時は令和天皇即位のために高御座や御帳台は東京に運ばれておりました

確かにテレビでこの中に雅子さまがいましたね~~

大正天皇即位のために造られ、昭和、平成、そして令和へと即位の礼で使用されました

 

春興殿

やっと綺麗なお庭に来ました

写真を撮りまくる外人観光客たち

御池庭

御学問所と御常御殿

御学問所では御読書始めや和歌の会などが行われ

明治天皇王政復古の大号令を下したところ

 

貴族たちが蹴鞠をしたお庭です

さらに進むと御内庭があって

御常御殿に続きます

案内をしているおにーさん

御常御殿は天皇の住まいや儀式、対面の場として使われ

15室の畳部屋からなります

とにかく中を覗こうとする日本人と

案内もなくただ通り過ぎていく外人さんたち

秋にしては暑い一日・・・・

 皇后のお住まいは見学できませんでした

徳川将軍などは大奥があったけれど、皇室は昭和以前まで貴族の娘が女官にあがり

御手付きがあって子供ができても自分の子供とは言えず

地位も女官のままだったらしい

 天皇の生活は質素で、京都の庶民からお届け物されたり

飢饉のときは庶民に食用を配布したり親しまれていたらしい

そしてこれから大阪人ひろみちゃんの

デイープな京都案内が始まります・・・・・・

ひろみちゃんと比叡山行ってきたよ

昨日のご飯がしょぼかったので、朝は奮発して高級朝ごはんを食べにいきました

ホテルグランヴィア京都です

朝食にしては、恐ろしい値段でした

ひろみちゃん久しぶりの運転で、ホテルにお迎えではなくて

東本願寺で待ち合わせしました(な、なぜ?)

雨降ってる~~っ

比叡山滋賀県にまたいでいるので車じゃないと行くのが大変なので

ひろみちゃんが大阪から慣れない運転で来てくれたのでした

車じゃないと叡電叡山本線から叡山ケーブル

その先のシャトルバスは予約しないといけないらしい(生き方がネットで調べても

よくわからなかったわ・・・シャトルバスは予約しなくてもいいのかも?)

鞍馬山にも行きたかったけど、比叡山から鞍馬山は車でも至難なので断念

ひろみちゃんはナビは信用できへんねんと言って何故か逆らいながら

1時間もかからず比叡山に到着

まずは延暦寺会館で予約していた精進料理をいただきました

私のおごりだったけど、あんまり美味しくなくてごめん・・・・

窓からみればそこは滋賀県

絶景な琵琶湖が広がっていました

しかし比叡山は広すぎる・・・・・

何十年か前に若い女性が一人で徒歩中に殺されちゃった事件がありましたね

数人以上行動かシャトルバスか車で移動しないとやばすぎる山奥ですねん

比叡山延暦寺天台宗の総本山です

788年に最澄が開山しており、「一隅を照らす」は私の高校でも掲げられていた

世界文化遺産で東塔、西塔、北の横川の3つのエリアに分かれています

非公開大書院特別公開で、ゲゲゲの鬼太郎比叡山の7不思議展をやっていました

ここは国の登録有形文化財です

京都豊和堂さんの手によって、友禅絵師による鬼太郎達が染織技術で

古代から存在していたように古い和紙感を再現して描かれております

鬼太郎達と対峙しているのは、比叡山に潜む妖怪たちです

普段非公開の書院ですから、廊下の奥に妖怪が本当に住んでいそう

比叡山7不思議ひとつめ おとめの水垢離

昔あった五智院でそこに納めてあった古い位牌の美女が死んでから

(生きている時は女人禁制)比叡山で幸多き来世のために修行を積んでます

水垢離を気配に気づいた僧に見られ、好奇心のために覗いて尊厳や神秘を

傷つけてはいけないと諭したそうです

鬼太郎とおやじも怒られたな・・・・・

 

ふたつめはなすび婆あ

800年前宮中の女官だった時に生肉が好きで殺生したので魔界に堕ちた婆あ

でもそれを悔やんで生きている時に信仰が厚かったので

心だけ比叡山に住むことを許され東塔の南光坊跡にいました

織田信長の焼き討ちの際は鐘楼をついて非常事態を教えてくれたそうです

そのおかげで魔界から脱出したかな?

 

3つめは一文字狸

西塔のにない堂で毎日たぬきを彫っていた修行僧の真弁

ある夜昔からここに住んでいた10メートルの巨大狸がやってきて

「狸を愛するのはいいけれど、遊び心で彫るんじゃない!これから千体の狸を彫れ。

そうすればこの山を守ってやる「」と言ったそう

だけどその千体の狸は残念ながら織田信長比叡山焼き討ちでなくなったんだって

残念だねぇ

 

4つめは六道踊り

豊臣秀吉の側室の淀君が横川中堂を再建し、その年のお盆は盛大な法要が行われました

すると夜になり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六道の亡者が集まって

盛大な盆踊りが行われたそうです

鬼太郎は人間の代表かな?

 

大きな屏風もありました

鬼太郎達、楽しそうですね

7不思議以外の絵も、沢山飾られていました

公開は12月8日までだったので、これらの素敵な絵はどこにいってしまったんだろう?

7不思議の中には「その手にのるな」のことわざの元になった話もあります

悪さをしていた大蛇が高僧に「そんなに力があるならこの手に乗れるか?」とおだて

調子に乗った蛇が小さくなると握りしめ壺に封じたそう

書院の中はこんなに薄暗くして、雰囲気満点でしたよ

しかし絵の発想と古紙の再現がすごいですね~~~

修行場といっても妖怪や情念も昇華されずにずっと傍らにあったのでしょう

比叡山って武闘派ですもんね

宗教が力を持つと世俗に近くなって権力闘争や階級重視、自分らが異端と決めつけた

者への弾圧、殺人もありですからね

織田信長の焼き討ちについては、焼き討ち前には比叡山は廃絶されていたので

そんなに建物はなかったらしい

近隣の住人も戦いに加わったので死者は数千人と言われているけれど

最近の発掘調査ではそんなでもなかったらしいですね

焼き討ち後は明智光秀がここをまかされたそうです

その後織田信長明智光秀らがいなくなると

僧たちが徐々に比叡山に戻ってきて再建されていきました

 

大講堂あたりです

雨もやんでいます

丁度僧侶が一人でお堂に籠って何日かお経を唱える修行中でした

比較はできませんがこの間23時過ぎに寧々屋の生プリンを注文したんですよ・・・

ミルクプリンの上に生卵とカラメルソースが乗っててやばかった(なぜ生卵?)

案の定翌日起きた途端気持ち悪くて、嘔吐と下痢を繰り返し

仕事中に立っていられない状態で座ったり寝させてもらったりして乗り越えました

お腹すいたけど食べると下痢、嘔吐でしょ?脱水になりそうでしたよ

OS1が何故かおいしいと感じるやばさでした

その前の宴会の食事で誰もあたってないし、生プリン食べたの私だけだから

ほんと時間がたった生たまごプリンはやばすぎです!!

飲まず食わずで誰もみてないとこで修業するのは自分との闘いでしょうな

このあと西塔はこっちという看板にふらふら導かれて足を踏み入れたのが間違いだった

車あるのに徒歩でさまようことになったわ

随分歩いて山道の途中に拝観券を持っているか確認する検問所があるんだけど

そこのおじさんに聞いても何分かかるか答えてくれないわけよ

とぼとぼ歩いていく横をシャトルバスが通り過ぎていく・・・・

途中にまた駐車場があるじゃん!!

ここまできては引き返せない・・・・

途中で一人ぽつんと山道で、降り注ぐ枯葉を掃いている僧がいましたが

それも修行なのかな?

やっと釈迦堂についたわ

あとにない堂と浄土院があります

もう時間的に西塔から横川に向かうのは無理ですわと

また元来た道をとぼとぼと引き返すのであった・・・・・

また読経が聞こえるとこまで戻ってきたよ

根本中堂は大改修中でした

とりあえず回りながらご朱印をいろいろもらってきました

一番のベストショットはこの牛ちゃんですねん

ひろみちゃんに送ってもらって、一人京都駅徘徊

きつねうどんをいただきました

やっぱり泊まるところは京都駅周辺じゃなくて祇園界隈がよかったですな~

銀座にもある中村藤吉茶屋に行ってしまいました

翌日もひろみちゃんが大阪から電車で来て案内してくれます

大阪に行ってきた話

スピ全盛のころ、ヒーラー養成学校で一緒だった大阪のひろみちゃんに

京都案内してもらうことになりました

あの頃、ひろみちゃんは今現在手広くマッサージ店を経営しているノビルくんと

夜行バスで関東方面の学校まで通ってましたね

夜行バスの中でノビルくんの足がくさいと毎回語ってたっけ・・・・

東京駅で調達したお弁当や葡萄ゼリーを指定席でいただきながら

大阪駅に到着

ひろみちゃんが行きたかった真田山陸軍墓地に行きました

そこに真田ゆかりの神社があったわ

真田幸村が大阪の陣で陣地はって徳川を迎え撃った真田山のところ

何かの時に逃げるための地下通路もあったよ

ビルに囲まれてひっそりとした空間があります

戦死した方よりも訓練兵など、病死した方のほうが多いんだって

戦地激戦区でもジャングルを逃げ回ってマラリアとかで亡くなった方が多い

明治4年に創立され、日南戦争・日清戦争日露戦争・第1次世界大戦・

第2次世界大戦までの5100基以上の墓碑があり

兵士だけではなく輸送や下働きに関わった方、船の舵取りとか看護人とか

捕虜になった敵兵も含まれています

桜の鑑賞地でもあって、近隣の方はここにお花見にきますね

訪れた数日前に慰霊祭?があったらしく

お花が墓碑ひとつひとつに供えられていました

陸軍墓地維持会の手に寄って大切にされているのです(寄付金も募ってるよ)

世界大戦前は国が管理して慰霊などを大々的に行ってましたが

憲法でそれができなくなり、今は大蔵省の管轄らしい

昔になるほど一人一人の英霊に対して墓碑が建立されていますが

近代になると合同墓地になったらしい

偉い人はひとりひとり立派な墓碑を建てられているけどね

植樹も維持会でやっているそう

お墓はそれぞれの家にあると思うので

墓碑だけで遺骨はないと思われる・・・・

でも激戦地では遺骨はほとんど戻ってきてないよね

地球で戦争がなくなる日がくるだろうか

戦争をするもしないも国の上に立つ人の意識ひとつですからね

 

観光客としては有名なたこ焼きが食べたいわけよ

でも大阪人からしてみれば1番は自分ちなわけで、あとはどこで食べても同じ感覚

このたこ焼きも道すがら買った露店のものでした

このあとなんだかわからないがビルに登りました

ビルの上には野菜畑が広がっていました

大阪人の感覚はようわからんな

とにかく観光客がいくところは絶対いかへんのな

お好み焼きとか~~食べたいな~~~オーソドックスなやつ・・・・

しかし大阪人にとってお好み焼きは家で焼くもんだしな

まあひろみちゃんと久しぶりに会うのが目的だから野菜を眺めて我慢するか

次に連れていかれたのは曾根崎心中・・・・・

露 天神社ですねん

遊女のお初さんがお金をだまし取られた徳兵衛さんと心中するお話ですねん

相鉄フレッサイン京都駅に泊まりましたが結構良かったです

夜ごはんは京都駅をさまよって、うどんを食べた気がします

クロアチアのお土産

クロアチアの記念に何か欲しいな~~と思って6ユーロで買ったら

モンテネグロだったわ・・・・・

200クーナの可愛い洋服。着ないで終わった・・・・・

日本でもどこでも買えそうなチョコレート

値段は買う国で違います

10枚20ユーロの塩チョコはブラックとミルクがあって友達と分けました

スーパーで買ったマーマレードとチョコクッキー

あげたので味はわからない

クロアチア記念で買ったお皿いろいろ。30~40クーナです

VEGETAのスープの素。まだ味見してません

胡椒とかオリーヴもスーパーで買いました

黒トリュフ塩は12.9ユーロ

いろいろスナックやナッツはガソリンスタンドやスーパーで買いました

スーパーで買ったお菓子

チョコレートは美味しかったです

アプリコットとイチジクケーキはお土産なので味は不明

スプリットの露天で買った蜂蜜です

アカシア1キロ60クーナ 桜のはちみつは35クーナでした

プチプチで巻いたけど、ちょっぴり漏れてました。

ドゥブロヴニクで買った入浴剤はキャンデイ型パッケージがかわいいけれど

剥きづらいし、入浴剤としては中身もいまいちでした

鳩の置物にはドゥブロヴニクと書いてあるので記念にいいです

ハンドクリームはあちこちで売ってましたが匂いが強烈でいまいちでした