エジプト ルクソール神殿
古代のオペト祭りではカルナック神殿のアメン神とその妻や息子の
像を神輿に乗せてここまで運び、祭りが開かれました
この神殿はアメンヘテプ3世とラムセス2世が大部分を建設しています
ラムセス2世が建てたオベリスクの1本はナポレオンが持ち帰ったんだっけ?
パリのコンコルド広場にあるのがそれです
エジプトの文化遺産だけどフランスの戦利品だから返さないね
アメンヘテプ3世の息子であるアクエンアテン王が
神官が幅をきかすアメン信仰を嫌ったため打ち捨てられましたが
アクエンアテンの息子のツタンカーメンが王位を継いだ時に修復しています
ベリーダンスの壁画だそうで、現地ガイドがエジプトが発祥だと力説してました
アンケセナーメンの腕がツタンカーメンに回され仲良し夫婦風になっていますが
誰が建てたのかな?ツタンカーメン本人か?死んだあとか?
父親が亡くなると弟のツタンカーメンと再婚しました
そして19歳でツタンカーメンが亡くなると後ろ盾だったアイと再婚し
アイが王となりましたが、アクエンアテン時代からの軍人のホルエムヘプに
王位を奪われています
めまぐるしい王位争いが繰り広げながらも
エジプトは強大で偉大な国の時代が続きました
壁画には後ろ手に縛られた捕虜や征服した町の名前も描かれていますよ~~
その後王位はホルエムヘプの将軍だったラムセス1世の手に渡り
息子たちが王位を継ぐ第19王朝が始まります
どこの王族も血統と財産を守るために近親婚を繰り返すことで
衰退に向かっていますね
ラムセス6世後はヌビアやアレキサンダー大王のマケドニアやギリシャ、ローマと
異民族の支配がはじまり属国にされます
ローマ時代ではコリント風の柱や円形ドームに改築したり
壁画の上に4人の皇帝と人々の絵を描かせています
またアレキサンダー大王やナポレオンも自分の絵や名前を彫らせたり
遺跡内部を改築したりしています
これは男根を切り取られている壁画で兵士たちがこぞって触っていってます
13世紀にはほとんど砂に埋もれていたため
イスラーム支配時代のモスクが建てられたりしています
左側の茶色い入り口の下まで砂に埋もれていたんですよ~~
しかしナポレオンの遠征によってエジプトのエキゾチックな文化遺産が
ヨーロッパで脚光を浴びることとなり
ヒエログラフが解読されることになるのです