六華 銀花 SAKURA舞う 3

旅行記、時々不思議なお話

ひろみちゃんと京都御所

ネットで調べたら京都御所に指定時間に集合すると無料案内してくれるのよ~

(一般公開、特別公開日があるので調べてから行ってくださいね)

案内してくれる市職員は若いおにーちゃんだった

京都御所は794年に都が京都に平安京として移されてから

1331年~明治2年の500年間天皇が住んでいた場所です

幾度か火災にあっても、その時の権力者らの手によって再建されてきました

豊臣秀吉徳川幕府とかね)

 

ここは公家や将軍家の使者の控えの間です

身分によって部屋がきまっています

右にいくほど身分が高い人の部屋になり、虎の間、鶴の間、桜の間があります

身分によって畳の縁の色や部屋の入り方も違ってきます

ここは大正天皇即位の礼で馬車がとめられるように新設された車寄せです

しっかし広すぎで、何もなさすぎじゃないの?

ひろみちゃんといろいろ話したかったけれど、なんも話さなかったな~~

 

ひろみちゃんはいろいろ視える人らしい

月命日など、いろいろな知り合いの方を呼び出して供養してるんだって

そういえば今年っていってもまだ1月だけど、一番びっくりしたこと。

ヒーラー養成学校で一緒だった陶芸家さんが3年前に亡くなっていたことを

同じく同期の年賀状で知ったこと・・・・・

3年間年賀状を出してて、返事が来ないからおかしいなとは思ってたけど

今年も出しちゃったじゃない

なんで旦那さん、教えてくれないんだろう・・・・・・・

他の同期に聞いたらやはり知らなかった

そんでひろみちゃん、陶芸家さんを呼び出して供養しといたって

ええ~~~!? あの頃ひろみちゃん20代、陶芸家さん50代で

卒業後も陶芸家さんあんまりひろみっちのことちんぷんかんぷんで好いてなかった

呼び出して怒ってなかったのかな?

ここは約500年間天皇が日常生活をされていた清涼殿です

建物は外から眺めるだけで内部の見学はできません

明治天皇から東京の皇居にうつられて、内部はからっぽの部屋ばかりか・・・

右近の橘、左近の桜は植え替えられたばかりか、まだ小さいですね

 最初は今の規模の半分しかなかったけれど、豊臣秀吉徳川家康が拡張して

今の広さになったんだって。

しかし・・・広すぎるわ

行った時は令和天皇即位のために高御座や御帳台は東京に運ばれておりました

確かにテレビでこの中に雅子さまがいましたね~~

大正天皇即位のために造られ、昭和、平成、そして令和へと即位の礼で使用されました

 

春興殿

やっと綺麗なお庭に来ました

写真を撮りまくる外人観光客たち

御池庭

御学問所と御常御殿

御学問所では御読書始めや和歌の会などが行われ

明治天皇王政復古の大号令を下したところ

 

貴族たちが蹴鞠をしたお庭です

さらに進むと御内庭があって

御常御殿に続きます

案内をしているおにーさん

御常御殿は天皇の住まいや儀式、対面の場として使われ

15室の畳部屋からなります

とにかく中を覗こうとする日本人と

案内もなくただ通り過ぎていく外人さんたち

秋にしては暑い一日・・・・

 皇后のお住まいは見学できませんでした

徳川将軍などは大奥があったけれど、皇室は昭和以前まで貴族の娘が女官にあがり

御手付きがあって子供ができても自分の子供とは言えず

地位も女官のままだったらしい

 天皇の生活は質素で、京都の庶民からお届け物されたり

飢饉のときは庶民に食用を配布したり親しまれていたらしい

そしてこれから大阪人ひろみちゃんの

デイープな京都案内が始まります・・・・・・