六華 銀花 SAKURA舞う 3

旅行記、時々不思議なお話

悪魔という魂たち

誰彼かまわずに悪意をもって毒そうとする者、傷つけようとする者

自分と同じ暗黒に引きずり込もうとする者

漆黒の闇の中で、なおも固く目を瞑って呪い苦しむ者

被害者意識が強いと、自分の不運を全て神のせいにして

神々を憎み呪い罵倒する者たち

何もしてくれなかった神をもう信じない!!

自分がこうなったのは全て神のせいだ!!!

みろ!この俺を!!!(そして自分を切り刻んだり、殴ったり傷つける)

こうなったのはおまえらのせいだぞ!!(血だらけになって満足そう)

(自分をもっともっと不幸にすることで神を傷つけた気になっている)

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でも神を傷つけることはできない

自分がそうなっているのは結局、自分のせいだから

幾ら神に吠えたって、神に見捨てられた可哀そうな自分の位置にいたいのだろうから

神はその願いだけききとどけている・・・・・

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慈悲はふいに降りてくる

天使だったり、魂の仲間だったり、哀れにおもった仏だったり・・・・・

でも、その光が痛いのね

光にあたると隠してきた自分が明るみにでて苦しいのね

だから、だから、光から逃げ惑い、もっともっと奥の闇の中へと逃げてしまう

人間が犯してきた罪による暗黒の集合意識、負の意識

その渦に取り込まれてしまう

それはブラックホールみたいなものなので

免疫のない天使クラスの光意識には致命的である

だから天使も神もそこまで降りていけないんだよ

這い上がるのは自分の力でするしかない

助けてくれるのは同じ人間レベルの魂の仲間や仏たち

そして、自分が歩いてきた魂の道筋は誰がひらいたものではない

自分が、自分自身が起こしてきたこと

どんなに厳しくても、非情でもなんとか自分で這い上がっていくしかない

でも誰かが自分を憐れんでくれる

幾千も幾万も、自分が闇にひきずりこまれる恐れもあるのに

引き上げようと差し出してくれる手があるのならば・・・・

背をむけずに、へたなプライドなんか持たずに

有難くつかむべきだと、私は思う

それはきっと、今まで自分にでさえ隠してきた

加害者であった自分、自分自身で自分を被害者にしてしまっていた事実に

向き追うことになったとしても・・・・・・

いつかきっと自分も蜘蛛の糸の逸話のように

誰かを助けたいと、慈悲の心をもち、憐れみをもって

きっとそれは、いつかの可愛そうな自分にむけてだとしても

闇の中に差し伸べるひとつの手でありたいと思う

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とはいっても

悪霊にむやみに同情するな、引き込まれるぞ!っていうこともあるわけだ

迂闊に自己憐憫病にかられて同情してはいけない

誰かが漆黒の闇の中でぎゅっと瞑っていた目を開ける瞬間がある

誰か助けてと光に背をむけることなく手を挙げる瞬間がある

その時につかめればいいのかもしれない

いつまでも誰かのせいにして神を呪っていたい魂は

そうしていたいのだから、ほっとけばいいのかもしれない

道は違えども、いつか辿り着く場所は同じなので

遠回りしているようでも、魂と宇宙には時間はないから 

宇宙の膨張期の外側にいたって収縮期になれば

また神の中にひとつになっておさまることもあるだろう

その前に悪意の集合意識に呑み込まれて、魂の自我を失くしてしまうことも

あるだろうけれど・・・・・

この世界を創った神が神であるかぎり、神の手の上でしかないこと

全てが自分で、総てが神ならば

悪魔や嫌いな人ともひとつになることを許せるならば

それが真我というものか・・・・・