六華 銀花 SAKURA舞う 3

旅行記、時々不思議なお話

エジプト  お土産とお買い物について

各観光地の入り口では露店とかバザールとか必ずあって

ちょっと値切ってお買い物をしてみたいですよね

売り子は男性しかいなくて

店の前で品物を持って「1ドル!!  1ドル!!」と近づいてきます

興味をみせると途端にこれは1ドルじゃない!10ドルだ!!!などと言ってきて

値段交渉が始まります

しかし現地ガイドが危険!不良品!!汚い!!!と言って

がっちり買わせないようにガードしてきます

ゆるいガイドだと駐車場で集合にしてくれてバザールをみたりできるけれど

私たちのガイドは現地ガイドとして人気があり

日本に旅行会社から招かれた人でかなりしっかりしてました

集合は観光地の出口前後

そこから駐車場まで早足で売り子を寄せ付けず

買い物する時間もなく・・・・・・

そのくせバスに入ると、多分マージンもらったか知り合いかの売り子の

品物紹介をしてくるっていう感じでしたね

それからエジプトにはお土産になるお菓子がないと言って

なつめやしにアーモンドがはさまった小さい箱のしょーもないお菓子を

ツアーのほとんどの人が買いましたが・・・・・

スーパーに連れて行ってほしいなと頼んだら

エジプトのスーパーは野菜とか肉しか売ってないときたもんだ

添乗員に言ったらスーパーには行きませんということで

しょうがなく現地ガイドのお菓子を買ったんですよね

そしたら最後の日に大型スーパーに寄るじゃないですか!!

寄る時間がないかもしれないから言わなかったと言ってましたけど。

エジプトポンドなんて残してないから

結局そこでまた現地ガイドに両替をしてもらいましたよ

それに空港にはおいしそうなお菓子が沢山売っていて

半額セールなんかもやっていて、ええーーーー!!!って感じでした

ゆいいつ良かったのは現地ガイドによるTシャツとポロシャツ販売ですね

ヒエログラフで自分の名前を入れてくれるってやつ

これも毎日現地ガイドたちが色違いで着ていて

見ていると欲しくなっちゃうんですね

Tシャツは20ドル ポロシャツは25ドルです

外人サイズなのでワンサイズ小さめで注文ですが

LLLとか大きいのはそのサイズで頼んだ方がいいです

太目の友人のお土産にしたら小さいと言われてしまったので残念でした

エジプト  コムオンボ神殿

船はコムオンボに向けて出発

ランチをいただき、船をうろうろしたりお部屋でごろごろ

コムオンボに夕方到着し、16時にコムオンボ神殿に徒歩で出かけました

川岸にあるので1分くらいで着きます

神殿内部を撮影するには50エジプトポンドかかります

これらの神殿にある列柱は木の幹か、ロータスまたはパピルスの茎を表し

頭にヤシかパピルスロータスの花をあしらい、蕾だったり開花していたり・・・

コムオンボ神殿では数種類のデザインが使われているそうです

ところどころ色が残っているのを見ると、古代ではかなりカラフルだったのでしょう

神殿では入り口から向かって左にハヤブサの神ハロエリスを祀り

向かって右に本来のコムオンボの神であるワニの頭のソベク神を祀っています

壁画はかなり美しく、浮彫式になっています

有名なクレオパトラは7世ですが、先祖のクレオパトラの壁画もあります

 

古代エジプトの暦

有名な出産シーンの壁画は随分小さいです

出産に関わる手術器具の壁画もあり、進歩的でした

そういえばエジプトの結婚事情ですが、お見合いが多いそうです

適齢期は男性が28~30歳 女性が23~28歳(田舎では18~21歳)だそう

何百万円もかかる結納金や新居の準備、結婚式代は男性が払うので

お金が貯まるまで1,2年以上婚約し、婚前交渉禁止で

デートには必ず親族が付きそうそうです

それなので結婚してみないと相手の正体がわからず

イカと同じと言われています

 

「あなたのスイカはどう?」

「いっぱい種(悪いところ)が入ってるよ~~!」だってさ

結婚式などのパーティは夜遅くから朝まで続くんだって

暑い国なので活動するのは夜になります

もし有名なベリーダンサーを呼ぶと1時間30~35万だって

歌手だと50万になるそうです

床の四角いへこみには木をはめて水で膨張させる方法で建てられています

釘がない時代なので日本の神社建築に似てますね

ワニのミイラの小さな博物館がありますが、見学しなくてもいい感じでした

17時半に船に戻り、アスワンに向けて出発です

夕食をすませ、20時から船で飲んだ飲み物の清算をして

ガラベイヤパーティでした

 

 

 

エジプト   エドフ観光ホルス神殿

港からは2人乗りの馬車でホルス神殿へ行きます

番号が書かれた紙を渡され、帰りも同じ馬車に乗ることになります

私たちが乗った馬車はジャイアン

次々と他の馬車を抜かして一番に神殿につきました

一番先に出発して待っているはずの添乗員はもちろんいなくて

迷子状態です。

ジャイアンはさっさと行ってしまったし・・・・。

やっと他の人たちを見つけてツアーに合流できました

ホルスは天空の戦いの神でハヤブサの姿をしています

女神ハトホルが奥さんです

高さ36メートル、幅79メートルの塔門にはホルスとハトホルの前で

敵を打ち据えるプトレマイオス12世が描かれています

古代から、ここにはホルスが祀られていましたが

この神殿は紀元前237年に建設が始まり

紀元前57年のプトレマイオス12世時代に完成しました

プトレマイオス12世はクレオパトラの父親です

千の神々の国といわれた古代エジプトの神話・・・・・

世界を治めていたオシリスは、彼を妬んた弟のセトに殺されます

切断された遺体はナイル川に捨てられますが、妻のイシスに拾われ復活

2人の間にホルスが生まれます

オシリスは冥界の神となったため、ホルスは叔父のセトと王位を争いますが

勝利して王位につき世界を治めます

その様子はセトの化身のカバを狩るホルスの壁画で語られています

これらの神殿では壁画の顔がつぶされていることが多いです

ペルシャオスマン王国などのイスラム世界で、迫害されたキリスト教徒らは

古代の神話が眠る打ち捨てられた神殿に隠れすんでいたそう・・・

キリスト教は1神教なので、他の神々の存在を許せない人もいて

このように遺跡の顔を削るなどの破壊をもたらしました

これも歴史の一部ですね

最高位の神官とファラオしか入れなかった至聖所には舟形の神輿があります

古代では年に1度、デンデラのハトホル神殿から神像をお迎えして

ホルスと女神ハトホルのための儀式が行われました

 この神殿にはエジプトで最も美しいホルス像があります

馬車に乗ってまた船に戻りますが、ジャイアンは手下に私達を呼びに行かせて

自分は厩舎の馬車の上で待ってましたよ

案の定すごいスピードで他の馬車を抜かしていきます

港につくと何故かジャイアンらしからぬ小声で

「・・・バクシーシ・・・バクシーシ・・・」とお金を要求

ガイドさんがすでにお金とチップを支払っているので

代わりに100円ショップで買ってきた馬車のお手入れグッズをあげました

 

 

エジプト  エドフへ向けて

アメンヘテプの葬祭殿前にあったメムノンの巨像です

右の像が地震でひび割れて、夜明けに音を出すようになり

ギリシャ神話の曙の女神の息子のメムノンと呼ばれるようになりました

修復後は音を出すことがなくなったそうです

13時頃にクルーズ船に戻り昼食です

ビールはエジプトのステラかハイネケンしか船にはなかったです

国民の90%がイスラム教なので宗教上飲酒やたばこは禁止です

甘いフレーバーの蒸気を吸う水たばこはありますが。

そのためビールやワインなどはレストランか専用のお店で買うしかありません

しかし古代のエジプトでは大麦を発酵させ、スパイスや薬草で苦みをつけた

ビールが作られ庶民の間でも飲まれていました

栄養補給の役割もあったようです

そういえばヨーロッパ各地で産業革命あたりまで

飲用水がわりにワインやビールを子供でも飲んでいたそうですが

汚水が使われていたんだって

発酵して雑菌がなくなるから、どんな水でも良かったらしいです

14時にエドフに向けて出港し、お部屋でそれぞれ昼寝をしたりしていました

17時からプールサイドで夕日を見ながらティーパーティ

そうめんを食べてエスナの水門を通り抜け

夕食を食べてから20時よりカクテルパーティでした

朝からこんなに食べまくってましたね

左のニンジンとキュウリは日本食コーナーの漬物です

エドフの港で泊まり朝食後、馬車に乗ってエドフ観光です

 

 

 

エジプト   ハトシェプスト女王葬祭殿

異母弟のトトメス2世と結婚したハトシェプストは

夫が亡くなると側室の子だったトトメス3世が幼いため

古代エジプト史上唯一の女王に君臨しました

そして20年位王座につき、地中海沿岸の国々と盛んに貿易を行い

国力を強化した敏腕ファラオでした

トトメス3世はそんな継母を憎んだそうですが

女王が亡くなると背中を見て育ったせいか

毎年海外遠征をして植民地を増やしエジプトを反映させました

ハトシェプスト女王の葬儀をとりおこなった葬祭殿は

崖を利用して3階建てになっています

このような葬祭殿や墓などはファラオに君臨した生前から

自分好みに創られていました

そのためツタンカーメンのように若くして亡くなると

まだ自分は死ぬはずがないと思っていたので

お墓もなく急ごしらえに他の者の手によって創られることになります

 

ハトシェプストは側近の建築家センムトにあれこれ注文してますね

壁画では各国と友好を結んで広大な貿易をおこなったことや

様々な貿易品が描かれたりしています

また、南方のプントとの交易ではプントの女王を醜く描き

自分はほっそりとした美女に描かせています

葬祭殿の隣には美しいハトホル女神の礼拝堂があります

ハトホルは牛の耳をした天空の豊饒の女神で、頭の上にはシストラムという

楽器を載せています

去年のエーゲ海クルーズで巡った島々の遺跡でも、牛は神聖な扱いをされ

ミノタウロスの神話では牛の頭を持った怪物として

または神として崇めたりしてますね

「ハトホルの書」では高度なエネルギー体の集合意識とのコンタクトが描かれ

古代エジプトでは女神ハトホルとして視える人々に知識を与え

意識改革をしていったことや、アセンションについて語られています

エジプト   王家の谷

ラムセス10世のお墓は4世のお墓よりシンプルです

末期王朝時代で多民族の支配が始まるころだからかな?

楕円形の円の中に名前を刻んだものはカルトゥーシュと呼ばれています

紀元前3000年頃より使われた独特の絵文字はヒエログラフといわれ

現代では完全に解読できるようになりました

ナポレオンがエジプト遠征で持ち帰ったロゼッタストーン

ヒエログラフとデモティックとギリシア文字の3種類で

同じ内容が書かれていたため、ヒエログラフを解明することができたのです

3種類の文字での知らせが必要ってことは商人や旅行者が入り乱れる

多民族国家だったのでしょう

もうひとつお墓を見学しましたが、誰のお墓か忘れました

人型石棺の向こうの壁に渡らせて写真を撮らせ、チップをせびってましたよ

各お墓にスタッフを配置してますが、みんな公務員なのかな

お金をせびるのはバイトだから?エジプト人だから??

ほんとにどこにいってもスタッフはあやしい

お給料が少なくて暮らせないのでサービス業はチップでまかなう習慣は

ヨーロッパの国でもそうでした

死者の国の番人アヌビス神はシュッとしていてドーベルマンみたい

ふんころがし(スカラベ

王家の谷のオプショナルはネフェルタリの墓見学です

とても美しい壁画ですが10分間で16000円、撮影禁止なのでやめました

ファルーカ遊覧とルクソール博物館8000円も、クルーズ船に乗ってるし

博物館はたいしたことがないということでやめました

 

 

エジプト  ルクソール西海岸観光

朝のブッフェにはお味噌汁や漬物、卵焼きなどの日本食コーナーがありました

お味噌汁はだしが入っていないミソスープだけど。

エジプトでは稲作も行われていて日本と同じジャポニカ米の品種です

魚料理では炊き込みご飯、肉料理では白米なんだって。

パンもいろいろな種類があって、アエイシというピタパンが有名です

古代ではパンが給料や税金として使われていたそうです

遺跡の壁画にも、よくパン作りや山ほどのパンの貢ぎ物が描かれていました

西海岸は死者の町と呼ばれていて、船からボートで上陸しました

王家の谷に着くと黄色い移動車に乗って見学するお墓まで行きます

王家のお墓はピラミッドと同じ形のエルクルン山のふもとに点在し

ピラミッド建設技術者や墓堀専門技術者のお墓もあります

トトメス1世以降の歴代ファラオが埋葬されているそうです

しかし盗掘にあっているお墓が多く、埋葬品は売られたり

ミイラは薬として煎じられ食べられてしまっています

残っているのは、このラムセス4世のお墓のような美しい壁画だけ・・・

王家の墓のカメラ持ち込み代は1台につき300エジプトポンドです

もちろんフラッシュ禁止なので性能がいいカメラがいいです

中には見張りがいてカメラ持ち込み用のチケットをみせなければなりません

外人とかは携帯で勝手に写真を撮ってお金を請求されていました

言葉が通じない人がいて、私のチケットを見本に取り上げられてしまい

返ってこないのかと思ったけれど取り返してきました

お墓の中は斜めに彫られ、陽の光が奥まで届くように工夫されているのは驚きです

奥には大きな石棺があって、中に人型の棺があるそうです

天井はヌト女神と大気の神シューです

ファラオは神の化身や息子として人と神を結ぶ存在でした

壁画では、王は神々と同じ大きさで描かれ、生前の偉大な業績や

罪の許しを得る場面や永遠の生命の象徴のアンクを授かる場面が描かれています

次はツタンカーメンのお墓を見学しました

入り口の写真です

 

中は撮影禁止で他のお墓より規模が小さく通路も短いですが

ツタンカーメンの遺体のミイラが安置されています

このお墓の上に他の王のお墓が作られたので入り口が埋もれ

墓泥棒に発見されずにすみました

ツタンカーメンは近親婚により足が不自由で病気のために17歳で急死しました

そのためお墓がなく急ごしらえで、副葬品も継母のネフェルティティのものや

生前の愛用品が納められました

これは発見当時の写真です

現地ガイドがツタンカーメンは生きている時は何もしなかったが

死んでから各国の博物館に貸し出されお金を稼いで

エジプトのために尽くしたと言ってました

ちなみに数年前、奥にネフェルティティのお墓があるのでは!と騒がれましたが

調査によると残念ながら何もなかったんだって。