六華 銀花 SAKURA舞う 3

旅行記、時々不思議なお話

エジプト   ハトシェプスト女王葬祭殿

異母弟のトトメス2世と結婚したハトシェプストは

夫が亡くなると側室の子だったトトメス3世が幼いため

古代エジプト史上唯一の女王に君臨しました

そして20年位王座につき、地中海沿岸の国々と盛んに貿易を行い

国力を強化した敏腕ファラオでした

トトメス3世はそんな継母を憎んだそうですが

女王が亡くなると背中を見て育ったせいか

毎年海外遠征をして植民地を増やしエジプトを反映させました

ハトシェプスト女王の葬儀をとりおこなった葬祭殿は

崖を利用して3階建てになっています

このような葬祭殿や墓などはファラオに君臨した生前から

自分好みに創られていました

そのためツタンカーメンのように若くして亡くなると

まだ自分は死ぬはずがないと思っていたので

お墓もなく急ごしらえに他の者の手によって創られることになります

 

ハトシェプストは側近の建築家センムトにあれこれ注文してますね

壁画では各国と友好を結んで広大な貿易をおこなったことや

様々な貿易品が描かれたりしています

また、南方のプントとの交易ではプントの女王を醜く描き

自分はほっそりとした美女に描かせています

葬祭殿の隣には美しいハトホル女神の礼拝堂があります

ハトホルは牛の耳をした天空の豊饒の女神で、頭の上にはシストラムという

楽器を載せています

去年のエーゲ海クルーズで巡った島々の遺跡でも、牛は神聖な扱いをされ

ミノタウロスの神話では牛の頭を持った怪物として

または神として崇めたりしてますね

「ハトホルの書」では高度なエネルギー体の集合意識とのコンタクトが描かれ

古代エジプトでは女神ハトホルとして視える人々に知識を与え

意識改革をしていったことや、アセンションについて語られています

エジプト   王家の谷

ラムセス10世のお墓は4世のお墓よりシンプルです

末期王朝時代で多民族の支配が始まるころだからかな?

楕円形の円の中に名前を刻んだものはカルトゥーシュと呼ばれています

紀元前3000年頃より使われた独特の絵文字はヒエログラフといわれ

現代では完全に解読できるようになりました

ナポレオンがエジプト遠征で持ち帰ったロゼッタストーン

ヒエログラフとデモティックとギリシア文字の3種類で

同じ内容が書かれていたため、ヒエログラフを解明することができたのです

3種類の文字での知らせが必要ってことは商人や旅行者が入り乱れる

多民族国家だったのでしょう

もうひとつお墓を見学しましたが、誰のお墓か忘れました

人型石棺の向こうの壁に渡らせて写真を撮らせ、チップをせびってましたよ

各お墓にスタッフを配置してますが、みんな公務員なのかな

お金をせびるのはバイトだから?エジプト人だから??

ほんとにどこにいってもスタッフはあやしい

お給料が少なくて暮らせないのでサービス業はチップでまかなう習慣は

ヨーロッパの国でもそうでした

死者の国の番人アヌビス神はシュッとしていてドーベルマンみたい

ふんころがし(スカラベ

王家の谷のオプショナルはネフェルタリの墓見学です

とても美しい壁画ですが10分間で16000円、撮影禁止なのでやめました

ファルーカ遊覧とルクソール博物館8000円も、クルーズ船に乗ってるし

博物館はたいしたことがないということでやめました

 

 

エジプト  ルクソール西海岸観光

朝のブッフェにはお味噌汁や漬物、卵焼きなどの日本食コーナーがありました

お味噌汁はだしが入っていないミソスープだけど。

エジプトでは稲作も行われていて日本と同じジャポニカ米の品種です

魚料理では炊き込みご飯、肉料理では白米なんだって。

パンもいろいろな種類があって、アエイシというピタパンが有名です

古代ではパンが給料や税金として使われていたそうです

遺跡の壁画にも、よくパン作りや山ほどのパンの貢ぎ物が描かれていました

西海岸は死者の町と呼ばれていて、船からボートで上陸しました

王家の谷に着くと黄色い移動車に乗って見学するお墓まで行きます

王家のお墓はピラミッドと同じ形のエルクルン山のふもとに点在し

ピラミッド建設技術者や墓堀専門技術者のお墓もあります

トトメス1世以降の歴代ファラオが埋葬されているそうです

しかし盗掘にあっているお墓が多く、埋葬品は売られたり

ミイラは薬として煎じられ食べられてしまっています

残っているのは、このラムセス4世のお墓のような美しい壁画だけ・・・

王家の墓のカメラ持ち込み代は1台につき300エジプトポンドです

もちろんフラッシュ禁止なので性能がいいカメラがいいです

中には見張りがいてカメラ持ち込み用のチケットをみせなければなりません

外人とかは携帯で勝手に写真を撮ってお金を請求されていました

言葉が通じない人がいて、私のチケットを見本に取り上げられてしまい

返ってこないのかと思ったけれど取り返してきました

お墓の中は斜めに彫られ、陽の光が奥まで届くように工夫されているのは驚きです

奥には大きな石棺があって、中に人型の棺があるそうです

天井はヌト女神と大気の神シューです

ファラオは神の化身や息子として人と神を結ぶ存在でした

壁画では、王は神々と同じ大きさで描かれ、生前の偉大な業績や

罪の許しを得る場面や永遠の生命の象徴のアンクを授かる場面が描かれています

次はツタンカーメンのお墓を見学しました

入り口の写真です

 

中は撮影禁止で他のお墓より規模が小さく通路も短いですが

ツタンカーメンの遺体のミイラが安置されています

このお墓の上に他の王のお墓が作られたので入り口が埋もれ

墓泥棒に発見されずにすみました

ツタンカーメンは近親婚により足が不自由で病気のために17歳で急死しました

そのためお墓がなく急ごしらえで、副葬品も継母のネフェルティティのものや

生前の愛用品が納められました

これは発見当時の写真です

現地ガイドがツタンカーメンは生きている時は何もしなかったが

死んでから各国の博物館に貸し出されお金を稼いで

エジプトのために尽くしたと言ってました

ちなみに数年前、奥にネフェルティティのお墓があるのでは!と騒がれましたが

調査によると残念ながら何もなかったんだって。

 

エジプト  プリンセス・サラ号

3泊4日のナイル川クルーズに出発で~~す!

全ての部屋が川に面しているので窓からナイルの景色が見れます

違いは1~3階とスイートルームだけかな

屋上にはプールがありますが、大きさは船によってまちまちです

私たちの船は小さいほうなのでプールも小さかったです

レストランも屋上と2か所しかなくブッフェになります

野菜満載の地中海料理なので美味しいです

ショップも小さくてたいしたものが売ってないです

ガラベーヤパーティのガラベーヤはぴんからきりまであって10~80ドルくらい

サイズは外人サイズでМサイズをみつけるのが大変でした

これは15ドルで下にパンツをはきました

パーティ当日に買うとトルコ風のスカーフ付きで売ってくれてましたよ

これも15ドルでしたがサイズがでかかった

土産用のポーチは1ドルですが値下げして4枚で2ドルです

イベントは他にもベリーダンスやスーフィのスカートくるくる宗教ダンスや

ヌビアのダンスと歌のショーがあります

トルコと違ってベリーダンスは太目ぶゆぶよ3段腹の踊り子が人気なので

写真は撮りませんでした(おじさんたちは食い入るようにみてましたが・・)

お約束のタオルアートはエーゲ海クルーズに比べるとへたくそです

カクテル1杯付の旅行会社主催のカクテルパーティ

クラブツーリズムはこの他に屋上ラウンジで夕日を見ながらの

そうめんとワンドリンクサービスがありました

そうめんはコックさんに特別に茹でてもらったそうです

物売りの船は自分のボートをロープでサラ号につないで

どこまでもついてきます

私たちの隣の部屋の下にいて、のんびり寝ているのですが

窓から顔をみせると夜中でも買え買えとうるさい!!

エスナの水門も一緒にくぐりぬけていましたよ!

ロープを切ってやりたいと思いました

ところでエスナの水門ですが集合時間にいったら数人しかいなくて

そのうちぞろぞろとみんなが戻ってきたら

水門をくぐるのを見学してきたとのこと

ちゃんと人数数えてさ~~  呼びにきてよ~~~

暑いので観光は午前中か夕方です

港に停泊しているときは到着順に船が重なり合うので

窓からはお隣の船の部屋窓があり、お部屋の中が見えてしまいます

降りるときはお隣の船のラウンジを通って岸にたどり着く感じです

 

エジプトの旅で一番びっくりしたのが

ナイル川の大きさと紺色の深く美しい水の色です

友達は昼寝していたけれど、私はずっと景色を眺めていました

エジプトは国土の90%以上が砂漠で、ナイル川の川岸の2キロ範囲しか

緑がないと言っていた気がします

川岸にはなつめやしなどの畑が広がり、牛やロバややぎなどがいました

 

 

エジプト  ルクソール神殿

ルクソール神殿カルナック神殿の副殿です

古代のオペト祭りではカルナック神殿のアメン神とその妻や息子の

像を神輿に乗せてここまで運び、祭りが開かれました

この神殿はアメンヘテプ3世とラムセス2世が大部分を建設しています

ラムセス2世が建てたオベリスクの1本はナポレオンが持ち帰ったんだっけ?

パリのコンコルド広場にあるのがそれです

エジプトの文化遺産だけどフランスの戦利品だから返さないね

 

アメンヘテプ3世の息子であるアクエンアテン王が

神官が幅をきかすアメン信仰を嫌ったため打ち捨てられましたが

アクエンアテンの息子のツタンカーメンが王位を継いだ時に修復しています

ベリーダンスの壁画だそうで、現地ガイドがエジプトが発祥だと力説してました

ツタンカーメンと妻のアンケセナーメンの像があります

アンケセナーメンの腕がツタンカーメンに回され仲良し夫婦風になっていますが

誰が建てたのかな?ツタンカーメン本人か?死んだあとか?

アンケセナーメンは父親であるアクエンアテンと最初に結婚し

父親が亡くなると弟のツタンカーメンと再婚しました

そして19歳でツタンカーメンが亡くなると後ろ盾だったアイと再婚し

アイが王となりましたが、アクエンアテン時代からの軍人のホルエムヘプに

王位を奪われています

めまぐるしい王位争いが繰り広げながらも

エジプトは強大で偉大な国の時代が続きました

壁画には後ろ手に縛られた捕虜や征服した町の名前も描かれていますよ~~

その後王位はホルエムヘプの将軍だったラムセス1世の手に渡り

息子たちが王位を継ぐ第19王朝が始まります

どこの王族も血統と財産を守るために近親婚を繰り返すことで

衰退に向かっていますね

ラムセス6世後はヌビアやアレキサンダー大王のマケドニアギリシャ、ローマと

異民族の支配がはじまり属国にされます

ローマ時代ではコリント風の柱や円形ドームに改築したり

壁画の上に4人の皇帝と人々の絵を描かせています

またアレキサンダー大王やナポレオンも自分の絵や名前を彫らせたり

遺跡内部を改築したりしています

これは男根を切り取られている壁画で兵士たちがこぞって触っていってます

13世紀にはほとんど砂に埋もれていたため

イスラーム支配時代のモスクが建てられたりしています

左側の茶色い入り口の下まで砂に埋もれていたんですよ~~

しかしナポレオンの遠征によってエジプトのエキゾチックな文化遺産

ヨーロッパで脚光を浴びることとなり

ヒエログラフが解読されることになるのです

 

エジプト   ルクソール東岸

カルナック神殿です

アメン大神殿を中心としたエジプト最大級の神殿です

テーベが首都になると太陽神ラーと合体し国家最高神になりました

アメンヘテプ3世、ハトシェプスト女王、セティ1世、ラムセス2世など・・・

そしてプトレマイオス王朝やローマ帝国と引き継がれ

2000年かけて増築されています

この大列柱は石の天井で覆われていたそうです

そして天井に彩色されたレリーフが残っているように

鮮やかな色彩をまとっていたのです

この巨大な列柱は134本あります

柱の上の円盤はパピルスの花を表しています

ナイルの東岸は生者の都、神の都とされていました

これはトトメス1世のオベリスクかな?

ここにはクレオパトラとシーザーや、ツタンカーメンなどのエジプト王

そしてアレクサンドロス大王も観光に来てたんですよね~~

オベリスクはハトシュプト女王が建てたものもあり

父親のトトメス1世とアメン神に捧げたもので

エジプト国内において最大で29.56メートルあり

先端に金箔が施されていたそうです

しかし時代と共にこのような神殿などは忘れ去られ

砂に埋もれたり、迫害されたキリスト教徒が隠れ住んだりして

破壊されたりしてきました

それらが遺跡として脚光をあびるようになったのは

大勢の考古学者と彼らを助けるスポンサーのおかげですね

歴史価値がわからないと国の宝が国外に持ち出されてしまいますから

それらを取り戻そうとしてもできないのは

エジプトをみると明らかですね

7回時計回りと反対に回ると結婚できるというふんころがし(スカラベ)の石碑

カエルみたいに上に載ってるのがスカラベです

動物の糞を転がすところが太陽を押し上げていると思われて崇められるように!

太陽ってうんちかね?

再生と永遠の象徴とされ、護符や印章に使用された人気シンボルです

特に死者の心臓の代わりとされ胸におかれたそう

そーいえばハムナプトラでもうじゃうじゃでてきてたよねぇ~

神官が禊をした聖なる池

ルクソールは昔テーベ、エジプト人はワセトと言っていました

テーベの都というと誰もが読んだことはないけど知っている漫画

今も連載が続いている王家の紋章を思い出します

オシリス神ポーズのラムセス2世像

王妃や娘は足の間に小さい像で掘られています

ルクソール神殿まで続く3キロの参道には

シュッとした牡羊のスフィンクスが並んでいたそう

では次はルクソール神殿です

もちろんバスですよ~~~

 

 

何故かエジプト

今年の旅行ですが、最有力候補は北欧でしたが

友達が転職してお休みが8日間しかとれないということで

9日間で行きたい北欧はあきらめました

8月だったらお休みがとれるというので行けるツアーを探していたところ

なんとな~くエジプトに行きたくなってきたので

友達に聞いたら反対もなく、真夏のエジプトに行くことになりました

ほんとは冬がベストシーズンなんだよね

8,9月のエジプトは40度以上になるらしい

費用は基本料金が189000円

1万のオプションをつけて燃料サーチャージやビザ代、保険などの諸経費で

243260円でした

 

それでは写真と共にこの先は続けたいと思います

ナイル川クルーズなのでまずはクルーズ船で遅めの朝食ビュッフェです

赤いのはハイビスカスティーで、友達に人気でした

ヨーグルトが濃くて美味しかったです

以下はルクソール東側観光のカルナック神殿です

エジプトって危ないイメージだけどバス3台の人気ツアーでした

エジプト航空直行便で13時間20分

カイロで乗り換えてルクソールまで1時間です

バス1台ずつグループが分かれて私たちは30名位

5人家族とか母と娘、60~70代のご夫婦、女性2人旅、70近い男性2人旅です

添乗員が3年目のペーペーなので人気ナンバー1の現地ガイドがつきました

 

カルナック神殿スフィンクスは羊でした

 

1エジプトポンドが8円  1ドルが17エジプトポンドで113円

ビザは旅行代込みで個人ではとれないようになっていました

それから両替は旅行会社で5000円=700エジプトポンドパックです

観光地のカメラ持ち込み代が現地通貨なので両替必須です

トイレチップが3,4エジプトポンド=25~30円なので小銭がないため

現地ガイドが8日間分一人2ドルずつ徴取して毎回まとめて払ってくれました

パスポートはホテルやクルーズ船に金庫があるけれど

壊れやすかったり暗証番号忘れトラブルが多いので

毎日持ち歩くはめになったので友達は腹巻を巻いてました

私はバックに入れてましたけれど。

余分なお金はスーツケース保管にしていました

毎日500mlペットボトル1本をもらえますが足りない時は

1ドル2本でバス販売してくれています

しかし硬水なのでお腹が心配な時は日本から持ち込みをしたほうがいいです

脱水予防のためポカリ粉末を持っていくと硬水でも飲みやすいです

置き引きやスリにあったり海外にいくといろいろ危険がありますが

エジプトでは誰もそんなことはなく、とても楽しかったです

多分クルーズと観光地のみの移動で現地ガイドのガードとポリス同行がいいのかな

一番の難所はエジプト航空ですよ、あなた!!

席がびっくりするぐらいきれいにバラバラですよ

カイロで乗り換えてもバラバラでひたすら孤独に耐えるしかない

友達の隣のおじさんはカイロで乗り換えてもお隣で

だったら私と交換してくれてもよくない!?

さすがに帰りはクレームの嵐だったらしく

エジプト航空のスタッフが一人ついてバス3台分の席をグループ毎にしてくれたり

いろいろやってくれましたが・・・。

日本語でみれる映画はちょっとしかないのでひたすら寝るしかなかった

そして飛行機内でもサービスが悪い。やる気がなく後ろでくっちゃべってますよ

行きではイヤホン配給をひたすら待ってたら、ちらほら見てる人がいて

CÁ(イスラム教なのでほぼ男性)に頂戴と言ったらないと言われました

でも前の方の席の友達はイヤホンやアイマスクや靴下やスリッパ入りのポーチを

もらったんだって。帰りはもらえたけれど・・・・・

そして飲み物の配給がご飯以外ほとんどないです

行きは日本から1本持ち込めたのでそれでしのげましたが

帰りは無駄なボディチェックが多すぎて水の持ち込みはできません

(友達なんかガムで引っ掛かりバッグの中を全部出されてました)

私~  3人席の窓側で死にはぐりました

寝て、起きたら・・・空気が異常に乾燥していて息ができなくなり

死ぬーーー!!!脱水だー!!!と気が狂いそうになって立ち上がったら

運よく紙コップに水を持ったCÁが通りかかりまして助かりました

それからは通路側の若い女子がずっと起きていたので

ちょこちょこトイレや飲み物をもらいにいき(いつ行ってもおしゃべり中)

CÁがさぼっていないときは置いてある飲み物を勝手に飲んでました